カテゴリー「自閉症」の9件の記事

2010年6月11日 (金)

「自閉症」の子どもたちと考えてきたこと

 「自閉症」の子どもたちと考えてきたこと 、という本に出会う。作者の佐藤幹夫 さんは、養護学校の先生を長年されていた、ということで、その経験から得た内容で、私のように「自閉症」の子を持つ親の感覚にすごくフィットする。
 何故「自閉症」の子供はこんな行動をしてしまうのか?という疑問に長年子供たちと接してきた経験から、それはこういう理由なんじゃないか?とわかりやすく答えてくれる。もちろん、ほとんどの子たちが言葉をあまり持たないので、その子に聞いてみたわけではない。でも、こう考えると納得がいく、というのが、私にもすごく共感が持てるのだ。
 例えば、常同行動やこだわりはどういうことで起こるのか?それは、ものすごく緊張しているか、逆にものすごく弛緩している(暇をもてあましている)時のどっちかだ、と言う。そう思ってよークンを見ていたら、以前はよく、側溝などに石をひたすら落とす(彼の常同行動)のが大好きだったのだけど、最近はあまりしなくなっていた。だけど、4月に入って急に朝、園からお迎えの車が来るのだが、その車に乗る前にまたそれをするようになった。そういうのを見ると何だか成長していたのが、逆戻りしたように感じてちょっと不安になるのだが…。だけど、私と一緒に親子通園する時はそれをしないということに気づいた。てことは、やっぱり一人で行く時は、緊張があるのだろうか?すんなり車に乗っているように見えて実はそういうことで表現しているのかな?と。そう思うと何だ!すごく彼なりに頑張っているんだ!と思えて何だかいじましく思えてくる。4月に入って色んなことが変わった。クラスが変って一緒に過ごすメンバーが変わり、先生も変わった。靴箱や荷物を置く場所もマークも変わった。そういう変化に対応すぐ適応できるかな?と心配したけど、割とすぐ慣れたみたいでびっくりしたんだけど、実は平気になったのではなく、そういう行動をすることで自分で自分の気持を落ち着けているのかな…と思う。以前ならギャーっと泣き叫んでいたけど、表現が変わったのだ。これはあくまでも、私の勝手な解釈だけど。

 佐藤さんは、そういう行動についてこう解釈している。誰だって普通の人だって緊張したり、暇なときにしてしまうクセがある。思わず爪を噛んじゃったり、貧乏ゆすりしたり。「自閉症」の子は予定外の行動が苦手だけど、普通の人だって急な予定変更にイライラしてしまうことがある、と。そういうのが極まった行動になってしまうのが、こだわりや常同行動なのではないか?そもそも、障害者と普通の人とは全く別の生き物なのではなく、ひと続きの同じ線上にいるのではないか、ということを書いている。私も、というか障害のある人を家族に持つ人はだいたいそう思うと思うんだけど、障害者である前に、もうすでにただの一人の人間なんだよね。でも、どうしても障害者と接する機会がない生活を送っていると、ああ、大変な人なんだ…と思ってしまう。自分だってそう、子供に障害があるとわかるまでわからなかった。自分の子供以外の障害者と接するのは内心怖いと思ってた。

 それって、普通に子供がいる人といない人の間にもそういう溝(大げさに言えば)のようなものがある。子供ができると独身の友達からはやっぱり「大変ね〜」なんて言われるし。大して大変でもないんだけどね。そりゃ大変なこともあるけど、そのぶん楽しいこともいっぱいある。そんなものだ。だけど、子供を持ってみないと絶対にわからない。想像はできるけど。(独身には独身の大変さがある!)
 だから、私も障害のある子を育てているけど、そりゃ大変なことはある。だけど、それを不幸だと思ったことはないし、楽しいこともあって、正直面白いと思うこともある。人間の多様さを垣間見れるというか、みんな自分と同じものを見てると思ってるけど、本当に人それぞれ世界の見え方は違うんだな…と思い知らされることとか。

 話がそれて来た気がするけど、そういう障害のある子を持つ親の気持ちがよくわかっていらっしゃるようで、めったなことは書けないぞ、とわかってすごく慎重に言葉を選んで書かれている。だから、今まで読んだ自閉症についての本の中では結構画期的な感じがした。それはまた最後の方でその理由がわかるのだけど…。

 最初の方に書かれている、障害者と老人や赤ちゃんと何が違うのか?という問いに全てがこめられている。家族の中に自然に障害のある人がいるように、社会の中にも自然にいて当たり前の世の中になればいいな、と思う。それが一番の支援じゃないかな。

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2010年6月 2日 (水)

「彼女の名はサビーヌ」

 パトリス・ルコントが監督した「仕立て屋の恋 」の女優サンドリーヌ・ボネール、彼女の妹さんは自閉症なのだそうだ。彼女がその妹さんをテーマに映画を撮った「彼女の名はサビーヌ 」。
 予告編やポスターなどで登場するサビーヌさんは、さすが女優さんの妹だな、と思わせるほど美しく魅力的な女性だ。だが映画ではその美しい頃と現在の彼女のギャップに衝撃を受けることになる。現在の彼女は、体重も増え、会話も心もとない状態。精神的にも不安定なように見える。家族と離れて施設に入った後、今のような状態になってしまったそうだ。
 映画は静かなサビーヌの日常と若くていきいきとしていた頃のビデオ映像を交互に映し出す。どうしてこうなっちゃったの?あの頃の彼女はどこへ?と思いがちだけど、じっと見ているとそうじゃない。今の彼女もサビーヌなのだ。お姉さんとずっと一緒にいたい、とか自分の好きな色の服を買ったりとか、見た目はぼんやりしているように見えるけど、ちゃんと自分の意志があってちゃんとそれを伝えることができる。

 監督はやはり、有名な女優である立場上、最初は妹のことは公表していなかったらしい。それは、家族にとって彼女の存在はとても自然なものだけど、他の人の目にはとても重いものとして映るから…ということを特典映像の中のインタビューで語っている。ほんとそうなんだよね。うちのよークンだって自閉症だろうがなんだろうがよークンであることに違いない。ある日「自閉症ですよ」って言われて、そうだったんだ…と思う。だからってその日から違う人間になるわけじゃない。でも、人に「うちの子自閉症で…」って話したりすると、やっぱりその反応はとても重いものになる。ま、どういうものなのかわからないから、そうなっちゃうんだけどね。

 (ここからネタバレです)ここだけ、意図的に演出したと監督が言っていたラストには、じんわりとした感動を覚える。監督はサビーヌさんにその、若い頃のビデオを見せるのだ。彼女は涙を流しながら見続ける。彼女が何を思ったか?わからないけど、その頃のそばに家族たちがいて、楽しかった思い出がよみがえったのか?彼女の家は大家族だったが、一人一人独立して行き、お兄さんが亡くなった頃から、彼女の精神状態は良くない方向へ向かったらしい…。自閉症者は変化に弱い。信頼できる人が次々と離れていったら、やはり不安定になってもしょうがない。

 障害のある子を持つ親は皆考える、自分がいなくなった後、この子は?できる限りのことはしようとは思っているが、どうなるかわからない。だけど、もし独りぼっちになってしまったとしても、その時、私たちと過ごした日々を楽しかった記憶として持っていてほしいな…と思う。この映画で彼女の涙を見て、それで間違いはないんじゃないかな、と思えた。

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2009年7月17日 (金)

「我、自閉症に生まれて」

 自閉症者が自身の体験を書いた本、と言えばドナ・ウィリアムズの「自閉症だったわたしへ 」が有名だ。私が自閉症に全くの興味を持ってなかった頃でも、題名だけは聞き覚えがあった。もちろん、よークンが自閉症かも?と思った時すぐに手に取ったのはこの本。確かに、ドナの体験は、自閉症の人だけではなく、定形発達の若い人にも自分とは何か?という成長期に訪れる疑問に共通するものがあると思う。だから、広く世界に受け入れられたのだ。

 テンプル・グランディンの「我、自閉症に生まれて」は、それより先に出版されていたようだが、私は最近になってこの人の存在に気付いた。タイトルを比べてもわかるように、ドナの方はいかにノーマルへ近づくか、という修行かと思える程の飽くなき挑戦を綴っているが、テンプル・グランディンは自閉症である自分を全面的に肯定して行く物語だ。

 彼女は、アメリカの畜産物取扱システム会社の社長で、全米の3分の1の食用牛が彼女が設計した機具で処理されている。彼女がその仕事を選んだのは、自閉症であったことに深く関係している。自分の独特の感覚を矯正するのではなく、それを活かして自分の天職を見つけたのだ。

 その道のりは、自閉症であるがゆえ厳しいものだったのだろうけど、母親や学校の先生達など、すごく周りの人たちのサポートが良くて、普通に考えたらおかしいと思われることでも、彼女のことを信じて色んなアドヴァイスをしてくれている。特に、このお母さんはすごい!お母さんの日記や精神科医へ宛てた手紙なども出て来るが、幼少期の手におえなさも伝わって来るが、娘のことをよく見て分析し、冷静に「ノーマルではない」ということを受け止めつつ、良い面を懸命に引き出そうとしている。「…自分の違いを誇りに思いなさい。人の世に貢献した人物は皆、どこか違っていて、その人生を孤高に生きました。」と、書いている。そして、テンプルはその通りに生きている。

 そういう生き方を、さらに追求し、自分以外の自閉症者について彼女なりに研究した本が、第二弾というべき「自閉症の才能開発―自閉症と天才をつなぐ環 」だ。こちらは、自分の特徴を含め、他の自閉症者や、それに関する研究を調査し、自閉症者の本当の姿を伝えてくれる。サヴァン症候群や、アインシュタインの話が出て来るけど、やっぱり天才と自閉症は紙一重なんだな、と思わせる。健常者の場合、脳の機能をバランス良く発揮する為に、個々の機能はある程度に抑えられているが、自閉症は一部は突出した能力を示すが、一部の機能はすごく弱い。それが、本当に人それぞれなんだけど。何かがものすごく得意、ということは他のことはてんでダメっていうのは、脳の作りがそうなっているのだ。

 さらに感動したのは、最後の章で、自身の宗教観についてふれている点。彼女は、プロテスタントの家庭で育ちながら、科学に対する追求を通して、次第にスピリチャルな概念に近づいてゆく。さらに、屠畜という仕事に関わる中で、宇宙と一体となるような経験をする。

 彼女の本は、このように自閉症者の立場から、自閉症について専門性の高い考察を示すとともに、自閉症者にも深い精神生活があることを教えてくれ、私のような自閉症児の親に、大きな希望と励ましを与えてくれる。すべての自閉症者が天才的能力を示すわけではないけれど、内面は普通の人と同じように豊かだと確信をもたらしてくれる。

 彼女は、輪廻転生を信じるが、生まれ変わってもまた、この自分に生まれたいと言っている。うちの子にも、自分を肯定する人生を送ってほしいな…。それには、やはり私たち周りのサポートが大事だな…。

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2009年7月 2日 (木)

自閉症ってなんだ?-part.1

 自閉症児の親になって半年が過ぎた。まだ半年?なんだよな。その前に自閉症かもしれない、自閉症なんだろな…という時期が長かったので半年、とは言えないが。自分の子が「自閉症ですよ」と言われてその日から何か変わるわけでもない、よークンはよークンであって、中身は同じである。なんかこの子は手がかかるなーと思いつつ、それなりに合わせながら子育てして来ているので、大して育て方が変わるわけでもない。ただ、自閉症だからこうなんだ!と行動の理由がわかったからやりやすくなったことはある。

 色んな自閉症についての本を読みあさってみたが、100%理解できたわけではない。何となくこうかな?と想像を巡らすだけだ。よークンは人がたくさんいる所が苦手だ。たぶんそれは、視覚になんらかの障害があって、人の顔がうまく認識できないように思える。今も、児童デイサービスで園児が全員参加する場所や、給食の時間などなるべく周りを見なくていいように目をつぶったり、机の下にかくれたりしている。そういう、よークンの行動と本などからの情報から、自閉症ってそういう五感の入出力の異常が問題なのかな、と思った。

 自閉症、と言っても本当に千差万別、一人一人タイプが違う。聴覚が異常に敏感、または鈍感。視覚、皮膚感覚もそう。よークンは入力は小さいのでが、出力が大きくなるタイプと発達支援センターの先生に言われた。だから、表現が大げさというか、楽しいとバンバン物をたたいたり、ドーン!とぶつかって来たりする。

 それと、診断を受けた時に、先生はジュースの入ったコップがたくさん並んだ絵を描いて、こう説明してた。その中身は一番はしっこが濃く、だんだん薄くなっていく。反対側の端は、透明。濃い方を指して、こっちは人づきあいが良い。透明の方は、全く人付き合いをしない。途中に線を引いて、ここからこっちは普通(健常)こっちは自閉症という感じ。

 まあ、よークンは全く人に関心を示さないわけではない。診断は、中機能自閉症ということだからか、家族には愛着を持って接しているし、気に入った人がいるとくっついてまわったりする。私には「お母さん、お母さん」とひっついて来るので、親しみの感情を持っていると思う。アスペルガーの人の書いたものを読むと、よく「親しいという感情がわからない」と書いているが…。どうなんだ?

 とにかく、まだ自分の感じていることを具体的に言葉で表すことができないので、そうなってくれればな…と、思う。そうしたら、もっと理解して適切なフォローをしてあげられるのに。今は、わからないことが多くてイライラするばかり。もちろん本人も自分の気持ちが伝わらなくてイライラ。まだまだ、戦いの日々はこれから…。

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2009年6月26日 (金)

Welcome to new world. -part3

 今の児童デイサービスに通って、4ヶ月が経とうとしている。この通所施設には、自閉症以外にもダウン症や他の障害を持つ子達が通って来る。やっと療育のスタートラインに立てたと、ホッとする一方、最初は建物に入るのも嫌がり泣きわめくよークン。何とかお昼まで頑張って帰って、家でぐったり動けない日々が続く。

 最初のうちは週3回、私も一緒に通っていたが、アニジャの幼稚園が4月いっぱい午前中で終わるので、しばらく一人で通わせることにした。それから1ヶ月してまた一緒に通園し始めたが、以前よりすごく落ちついて園生活に参加できるようになっていた。ギャーギャー泣きわめいていた頃、他のお母さんから「1ヶ月もすれば変わるよー」と励まされたが、本当だった。

 私にとって、ここは親戚以外、知合いのいないこの街へ来て最初につながりのできた場所となった。1ヶ月行かなかったら、たまに行きたいなーと思っている自分がいる。行くとかなりハードで身体はヘトヘトになるけど、すべて優しくを受け入れてくれる先生達と、子供達のイキイキとした姿を見ることで、本当に元気がもらえる。よークンとは別のクラスにダウン症の男の子がいるのだけど、いつもオープンで朝行くと「よっ!」と挨拶してくれる。ある時、たたっとやって来てキュッとハグしてくれた。なんかその時すごく、言葉は無いけど「大丈夫だよ、ここに居ていいんだよ」と言われているような気がした。(私の勝手な解釈)新しい土地へ来て少しは不安はあるものの、忙しくてそれをあまり意識してもなかったが、やっぱり精神的に参ってたのかな…、と思った。その細くて小さな腕でふわっとしたハグなんだけど、すごいエネルギーを感じた。そういう、癒し…みたいな話は、どっちかというとむずがゆくて好きじゃないんだけど、こういうことあるんだなー、と思った。

 ここの園が何でも自分でできるように指導しているのもあるけど、歩くことが困難だったりする子も何だって自分でやってる。障害があるなんて、もちろん意識してはいないのだろうけど、いつも笑顔で楽しそうに遊んでる。そういう所だから、みんな優しくなっちゃうのかな。母子通園して来るお母さん達も、みんな自分の子もよその子も区別せずに接している。お互いにみんな「おはよう!」と声をかけあい、悪いことすれば「ダメだよ!」と注意する。最初は、よークン以外の障害児とは接したことなかったから、ドキドキしたけど、よークンにみんなそういう風に接してくれるので、自然に自分もそうなってしまう。

 自分の子に障害がなかったら、覗くことさえなかった世界。障害者というと何となく敬遠してしまってただろう人たち。そこには、知らなかった新しい世界が広がっていた。まだまだ、これからよークンが成長して行くに従って、その世界は広がって行くのだろう。

 

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2009年5月27日 (水)

Welcome to new world. -part2

 それから、正式に発達支援センターで診断を受ける予約をすることにしたが、何ヶ月も先まで予約がいっぱいだった。私たちは、1月いっぱいで引っ越すことを伝えると、何とか早めに受けることができるように手配してくれた。それでも2ヶ月後…。最も辛い2ヶ月を過ごす。普通だったら、半年以上待ったなんてザラみたいなので、まだ恵まれてる方だったのかもしれない。自閉症なのかも…、と思い始めてから、ネットや専門書を読んで、早期発見、早期療育の重要性がわかっていたので早く何か始めたい、という気持ちがあるのに2ヶ月待たなきゃならないなんて。なので、二人して図書館から自閉症関する本を借りまくって、読みまくった。そうしないと、いられなかった。本当にショックなことがあるとこうなるんだ…と思った。現実感がまるで、ない。よく金魚鉢の中にいるよう、と言うけど。本当にそんな感じ。世間が遠のいて見える。何かしら、泣きたくなる。朝起きるのが、嫌になる。よークンとアニジャがニコニコしながらジュースを飲んでるのを見て、あー大きくなっても、二人で兄弟らしく遊んだり、話あったりできないんだ…、なんて思ってしまう。

 でも、診断されて、正式に自閉症であるとなったら、少し気が楽になった。それまで何だかわからないまま不安を抱えて過ごして来たけど、これから何かできることがあって、それをすることによって少しでも改善できると思える方がいい。診断結果は、夫婦お互い想定していたような感じだった。結構色んなことが出来るみたいだから、療育に入ればすごく伸びるんじゃないかと言われた。家でも色々できてます、と言うと、「それを家以外でもできるようにならなきゃね」と言われた。それが社会性、ということなのだろう。

 引っ越すことを決めたのは、1年も前だったが、まさかこんな事が起ころうとは予想もしてなかった。行く先にちゃんとした支援機関があるのか?なんせ今まで住んでいた所より、ずいぶん田舎なので心配していたけど、市役所の福祉課に電話して聞いてみたところ、係の人がちゃんと自閉症について理解していらっしゃる様で、すぐにそういう施設を紹介してくれたのでほっとした。(つづく…)

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2009年3月27日 (金)

Welcome to new world. -part1

 新しい土地へ来てやがて1ヶ月が過ぎた。何だかんだで忙しく、あっという間にそれだけの時間が過ぎていったが、ようやく慣れつつあるのかな。最初は意識しないまでも緊張していたのか、背中が痛いのがずっと続いてた。その上、風邪をひいたりと散々だったけど。

 こちらへ来てすぐにやった事は、よークンを療育施設に連れて行くことだった。長い間、「様子を見ましょう…」という言葉を聞かされ続け、訳の分からぬまま通った保健所から、発達支援センターでの診断を経て、ようやく療育のスタートラインに立つことができた。

 そこは、通所児童デイサービスで、自閉症の他にダウン症や、他の障害を持った子たちが、親子で通って来る。結局のところ、よークンは自閉症であった。まだ3歳に届いてないので、診断するには早いが、自閉症は早く療育すればするほど、効果的だということで、診断を受けた。

 以前、ブログに書いたように、言葉は出始めた。だけど、言葉が出さえすればいいものではないらしい。ちゃんと、心と身体、社会性がバランス良く発達するのが普通なわけだ。そう、社会性。他の人とどれだけ細やかなコミュニケーションをとれるか。だけど、私はシロウトなので、すっかり言葉出始めたから大丈夫なんだろうと思ってた。おまけに、よークンは、典型的な自閉症の症状とはあまりにもかけ離れていた。目だってよく合うし、ニコニコ笑う。夜もたいがいグッスリ寝てたので、まったくピンと来ていなかった。なんてノンキな母親だろうとでも思われてたかもしれない。

 でも、いつまでたっても「もう大丈夫です」とも言われないし、やはり何かおかしいのかな?と思い始めてネットで色々調べてみた。自分の中で決定的たと思ったのは、よークンが「逆転バイバイ」(手のひらを自分の方へ向けてバイバイする)をしていた事。それからしばらくして、ようやく発達相談の先生から「どうですか?自分でもネットとかで調べたんじゃないですか?」と切り出された。「自閉症」という言葉は最後まで先生は口にしなかった…。(つづく)

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2008年8月26日 (火)

言葉、出始めました!の、その後…

 2歳3ヶ月で、やっと「ジュース」と、言ってくれたよークン。だけど、この後どんどん言葉が出てくるかと思いきや、やがて「ジュース」も言わなくなり…。アニジャの時の経験から、あふれるように出てくるのでは?と期待したが、なかなか一筋縄ではいかなかった!まだまだ、言葉をため込む日々が続く。

 6月の末に、保健所での発達相談があり、行った。お医者さんとお話をする。チャートのようなものがあって、言葉と身体、社会性について、「こんなことはできますか?」と質問をされる。身体については問題ないが、やはり言葉や社会性が年齢に追いついてない。バランスがとれていないとのこと。でも、まあ2歳だから、本当に個人差があるので、何とも言えないとは言っていた。

 おまけに、まわりに保育士さん(と、思われる)人がたくさんいるのに、関わろうとしていない、とも言われる。よークンは、色んな目新しいおもちゃに夢中で、それどころではない様子だった。私も、なかなか言葉が出て来ないから心配はしていた。でも、まだ2歳だから、遅いだけだと思ってた。本人の力を信じて待つしかないと。でも、やはり1%でも不安は残る。だから、連れて行ったのだ。「個人差があるから」と言いつつも、「びっくりしないでくださいね…」とか「この事はご主人に相談されますか?」とか言われるので、そんなにおおごとなの?とちょっとビビってしまった。

 うちに帰ってしばらくすると、何だかすごく不安におそわれて、自分のせいかもしれないとか考えはじめて、涙がとまらなかった。この頃、よークンのイヤイヤがピークで精神的にすごく疲れていたのに、その上そんな話を聞いて、ちょっと鬱っぽくなってしまった。眠れない日々が続き、疲れがとれなくて、朝起きると毎朝じんましんが出た。

 7月を過ぎると、何だかちょこちょこ言葉がまた出始めた。犬を見て「わんわん」とか、「ちょうちょ」やら、アニジャの名前を言ったり、この頃は一気に2語文っぽいこともしゃべり始め、「パンダコパンダ」の歌まで歌い始めた!絵本を持って来て、指差して「バス」「ふね」などなど…。って、もう2歳半なんだけどね。

 結局、遅いだけ…だったのか。やっぱり個人差ってすごくあるのだ。同じ兄弟でもこうも違う。ましてや、よその子であれば尚更。その子、その子の良さをちゃんと、見てあげなきゃならないのだなー。忘れがちだけど。

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2007年10月 9日 (火)

言葉、まだ出ない...。

 1歳半検診ですすめられた、検診事後教室へ子ども達を連れて行く。よークン用と、アニジャ用で別々の日にあったけど、どちらにも連れて来ていいというので、どっちにも3人で行った。最初のよークンの方は、主に音楽にあわせてママと体を使って遊ぶ。落ちつきのないよークンは、あっちウロウロこっちウロウロ。アニジャは結構楽しんでる様子。1時間半くらいぶっ続けで遊んで、こっちがフラフラ。よークンは、途中で眠ってしまった。

 次のアニジャ用の教室は、プレ幼稚園といった感じで、ちゃんとスケジュールが組まれていて最初に今日はこれと、これと、これをします、という説明から始まる。絵本の読み聞かせや、体を動かす遊び、ちょっとした工作のようなのもあって、アニジャも目新しくてすごく楽しそうだった。

 月に1、2回なので、これで何か変化があるかどうかわからないけど、たぶん保健所の方も定期的に様子が見れて、こちらも何かあった時に相談しやすいので、すごく良い機会だと思う。それに、たくさんのスタッフの方が見ていてくれるので、うちみたいに目の離せないのが2人もいると、すごく安心して参加できる。

 ところで、よークンはまだ言葉が出ない...。それらしく聞こえることはあるけど、もう1回って言って聞けるわけじゃなし。アニジャもかなり遅かったけど、少しだけ言葉らしいのがあったから、そんなに心配してなかった。「続 こどもへのまなざし」を読んでいたら、言葉が出ないというのは、自閉症の1つの症状で、そういうのを最初に見つけるのが1歳半検診の時だと書いてあった。それを読んでやっと、だからああやって、専門家に相談できるようにしてあるんだ...、と初めて納得した。何もなければ、なかったでよし、もし何かあれば早めに対応した方がいいということか。そういう風に説明してくれればいいのに。でも、もしそう言われて自分の子が障害があるかも?とよけいに不安に思う人もいるかも知れない。どっちにしろ不安なのだ。むずかしい問題だ。

 とりあえず、言葉出ないほかは別に問題なさそうな気もするので、気長に待つしかない。気になってYahoo!知恵袋を見ていたら、2、3歳まで出なかったけど今は普通です、なんて人がいっぱいいたので、少し安心する。「言葉が出ないんですけど...」っていう質問が結構あって、やっぱり皆な不安だよねぇって思った。たくさんの人がそれに対して長々と答えを書いていてくれて、私も勇気づけられた。うーん、井戸端会議はネットの中に....。

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