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2009年4月21日 (火)

田口ランディ「パピヨン」

 田口ランディさんの本を久しぶりに読む。彼女の本はほとんど持っているほど好きなのだが、「富士山」以来ずっと遠ざかっていた。子供が生まれて、あんまりハードなものを読む気になれなかったからかな。彼女の作品は、ほんわかムードの時はあんまり読む気しないみたい。逆に、辛すぎる時も読めなかったりするけど。

 ここ最近、無性に読みたくなって「キュア」と「パピヨン」を手に入れた。何となく、お父さんがガンで亡くなってそのことを題材に書かれているのは知っていたが、久々に「コンセント」とかの三部作を読んだ時のような、胸に迫るものがあった。実際にガンを患うお父さんに付き添った体験から得た、現代のガン医療についての問題、死に逝く人を看取るということ、そして生きること、死ぬこととはどういうことなのか?もっと、生き物として何故生まれて死んでいくのか、ということを地球上に生物が登場した時点から背負う宿命のようなものまで思いを馳せて描かれている。

 昔、ランディさんが、自分のエッセイか何かで、「背後に薔薇色の地球が透けて見えるような作品を書きたい」(うろ覚えなので定かではない…)と書かれていて、ハッとした事があった。確かに見えたのだ、三部作のどれかを読んだとき。そのエッセイを読む後なのか前なのか忘れたけど。それって、時間も空間も超えて、ものすごく高くて大きく優しい視点で、どうしようもない人間を見ているような感じ。

 「パピヨン」は、エリザベス・キューブラー・ロスとの出会いから始まり、偶然か必然か、末期のガンで余命半年と宣告された、お父さんの看取りの体験が綴られる。エリザベス・キューブラー・ロスが収容所で見た蝶を探す旅と、お父さんの死への旅立ちの物語が絡まりながら進んで行く。

 何故、今ロスなのだろう?と思って読み始めた。私も昔、ロスの「人生は廻る輪のように」「ライフ・レッスン」なんかを読んで、すごく感銘を受けた。彼女の事を知ったのは、立花隆氏の大作!「臨死体験」に出てきて興味を持ったからだ。ロスの「死の受容のプロセス」は、あまりにも有名で、自閉症の本にも、我が子の障害を受け入れる過程として応用されていた。

 「パピヨン」にも書かれているとおり、ロスは最終的に変人扱いされて、最後はグダグダな感じなんだけど、それが何だか人間らしくって好きだ。20代の頃、全然自分をコントロールできなくて、不安定でブレまくって、何で平常を保てないんだろ?!それは上がったり下がったりするメーターのようで、そう思ってた時にロスを読んで、何となく、あ、それでいいんだ!メーターそのものが自分自身なんだ!と、すごく腑に落ちたことがあった。

 ランディさんが、あのお父さんの死にどう向き合うのか、とても興味があった。常々エッセイなどの中で、嫌いだと公言して来たお父さん。それを私は、いつも共感を持って読んでいた。何故なら、何だか自分の父親と似ているから。正確が悪くて、癇癪持ちで、できればあんまりかかわり合いになりたくないようなタイプ。でも、そういう自分を、お父さん自身ももてあましていたのではないか、と書いている。その受け入れがたいお父さんを受け入れるという課題。

 あれだけ、死に逝く人に寄り添い、それを看取る人たちを勇気づけて来たロスだが、自分の死に対してはなかなか受け入れきれず、神への怒りを露にしていたらしい。でもそれは、怒りという感情も自分の持つ感情のひとつで、正直に表現して良いのだという主張だった。どうしても現代人は、周りの目を気にしてお行儀良くしてしまう。でも、自分を騙すことなく、人はありのままに生きていい、と。お父さんも、ありのままに生き、旅立っていかれたのだ。

 この本を書いている間中、ずっと普通とは違う意識レベルだったという。読んでいる私も、ずっとそんな感じだった。ランディさんの本は、そいういのが多いと思う。ただ単に物語の世界に浸るというよりも、自分の無意識に接続するような。この意識の旅を終えて、自分は近しい人たちの死を、どう体験するのか…。

 

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